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祈りの人たち

  • 執筆者の写真: AICF Japan
    AICF Japan
  • 2022年2月6日
  • 読了時間: 2分

今年の祈り会では、「祈り」の観点から使徒の働きを学び始めました。“使徒の働き”は、教会がどのように誕生し、成長し、拡大してきたかが記されている“聖霊の働き”の書物ともいえるのですが、その聖霊の働きを信者自身のものとする根っこにあるものが祈りなのです。

祈りそのものは地味なものであり、信仰によらないならただの独り言同然で、退屈なものにもなります。祈りによって、劇的なことが起こることを私たちは期待するのですが、自分の内側にも外側にも何かがすぐに起こるとは限りません。ですから、祈り会に集うことも、信仰によらないなら、自分の楽しみとか為になるとかいうことは感じにくいものです。それが実際の祈り会であり、聖書の中にある祈り会もそのほとんどが、「祈っていた」という言葉でしか表現されていない目立たないものなのです。

しかしそういう祈りのゆえに、あるいはそういった祈りの結果、素晴らしいことが起こり、だから私たちは期待するのです。地味な忍耐強く重ねられた祈りには関心を向けず、祈りによって神が成される御業や奇跡ばかりを求めたがるのです。

祈りは、木の根のようなものです。地面の中に埋まっていて、地表からは見えません。しかし、木は根によって支えられていて、葉が茂り、花が咲き、実が成るのも、地中に深く広く根差した根があるからこそなのです。祈りは、目立たず、知られず、脚光も浴びませんが、祈りがなければ、信者も教会も神の力を知りながら歩み成長するということはないのです。

神に用いられた人々を注意深く見るなら、必ず隠れた祈りがその人に見え隠れします。ハンナやサムエル、ダビデは皆、それぞれの祈り方でいつも神につながっていました。そしてイエスも、いつも祈りによって父なる神と通じていたのです。ゲツセマネの祈りでも明らかなように、その祈りはまるで自問自答の独り言のようです。しかし神が目に見えない霊的存在であるゆえに、信仰によって神を信じ、祈りによって近づくなら、そのような信仰による祈りこそが、神につながる方法となのです。この月、祈りの人となって歩みましょう。

Pastor Takeshi


 
 
 

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