“確かに”と“たぶん”
- AICF Japan
- 2024年2月1日
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更新日:2024年5月4日
今年は大地震によって年が明けました。大地震は甚大な災害をもたらし、多くの人々の人生を変えてしまいます。ただ、その人が何を恐れて歩むかによって、人生の方向は変わるでしょう。お金の心配、健康の心配、生活の心配は、この世の誰もが体験するものですが、神を信じるキリスト者は、その信仰を働かせて神に目を向け、神を第一にして歩むなら、心配や不安から解放されて行きます。
震災は、私にとっても人生の転機でした。1995年に阪神大震災があった時、私は揺るがないと思っていた現実の世界が、数分間揺れただけで、幸せというものが簡単に失われるということを、確かに知ったのです。そして私は、世のためではなく、神のために、すべてを捧げて生きることに懸けてみようと決心しました。その決心は、神に献身して生きれば必ず牧師になって今のような人生になると確信していたから、ではありませんでした。実のところ、神の確かさについては信じていましたが、自分の信仰は中途半端であったので、本当に神が生きておられるなら、“たぶん”自分のような者でも用いてくださるだろう、と思ったからです。その“たぶん”は今日“確かに”となりました。確かに、神はすべてを働かせて導いてくださる方であったのです。
皆さんは、神の確かさをどれだけ知っていますか?神の確かさを忘れていませんか?大地震のような災害や、事故や戦争など、自分の力ではどうにもならない事柄に巻き込まれると、つくづく自分の無力さや人の非力さを思い知ります。そして、確かな神に頼らなければ、生きて行けないことに気づくのです。
この一年、どんなふうに生きますか?この世で確かに思えるものは、実はそうではありません。確かな神に信頼して、“たぶん”でいいから、信仰を働かせて、自発的な献身の歩みを神に従って進めませんか?きっと祝福されます。
Pastor Takeshi
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