特別だったから?
- AICF Japan
- 2023年2月1日
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この世の中では、特別な人が選ばれます。他の人と同じでは、なかなか選ばれるこ とはありません。だから、選ばれたいと思う人は、何か特別なアピールをして、そのために熱心に努力して、選ばれようとがんばるのです。才能を磨くとか、能力を上げるとかしなければ、目立つことはなく、選ばれることもないのです。それが、人と人とが比べ合うこの世の常識なのです。 しかし神が選ぶ時は、そのような選び方はしません。神の考えや基準は、世の中の ものとは根本的に違います。御子がこの世に降誕するための器として、乙女マリアが選ばれました。私たちは時々この世の基準で考えてしまうので、彼女は他の人より優れた信仰を持っていたから選ばれたのだ、と思い込んでしまいます。そして、神に選ばれ、特別な働きを任されるためには、“特別な信仰”を持たなければならないと信じ込んでしまうのです。 マリアは、神に選ばれて御子を宿す事実を御使いから聞かされた時、戸惑い、驚き 、信じられませんでした。自分は処女であるのに、どうして御子を宿すなどということが起るでしょう、と言い返しました。神から選ばれて、初めに告げられる御言葉は、到底信じられないものなのです。しかし、その後、彼女はなおも御言葉に耳を傾けて、そしてそれを信じることを、選び取りました。この“選び取ること”こそが信仰なのです。 そして、その選び取った御言葉に従って彼女は生きたので、御言葉はその通り成就 したのです。彼女が信じられないような御言葉を、信じる選択をして歩み続けたので、彼女は特別な信仰者とされて行ったのです。 特別だったから選ばれたのではありません。御言葉を信じることを、選び取って生 きたので、彼女は特別になったのです。御言葉を信じて歩むことを選ぶ時、その信仰によって、私たちも特別にされて行きます。信仰によって、御言葉を握って歩みましょう。 Pastor Takeshi
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