御国が来ますように
- AICF Japan
- 2024年3月1日
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更新日:2024年3月4日
「御国が来ますように。」この祈りは、主の祈りの中にある祈りです。これこそ、本当に私たちに必要なものです。ただ、神の御国の現実的なすばらしさをよくわかっていないと、この祈りは私たちの祈りの優先事項にはなりません。
私たちの祈りの優先事項は、問題が解決しますようにとか、病気が治りますように、仕事が上手く行きますようにといった、自分にとってのその時の切実な必要事項です。それをまず叶えてほしいのです。けれども、こういった祈りの求めは次から次へと起こり、切りがありません。また、叶えられた祈りを思い返し、感謝する祈りを捧げるのもおろそかになります。
神の御国が来るということは、私たちのすべてが変えられるような衝撃的祝福です。それを、どのくらい私たちは味わっているでしょう。それを味わえば味わうほどに、私たちは神の御国のすばらしさを知って行き、世の中の様々なわずらいに翻弄されにくくなって行きます。神の御国とは、物理的なものではなく、霊的に実在する現実的な御国です。私たちキリスト者は、皆がこの御国に属する者になっているのに、そのすばらしさをほとんど知らないことが多いのです。
家族がいることはいいことでしょうか。「もちろんです」と言う人がいますが、他方では家族に悩まされて、「いいえ、ひどいものです」と答える人もいるかもしれません。そのように答える人は、家族がいても、家族としての確かな結び付きを体験せず、その祝福を味わえていないからでしょう。家族がいるだけで幸せなわけではなく、その家族が家族として機能して、はじめて祝福を味わうのです。
神の御国もこれに似ています。神の御国をただ知っているだけでは、祝福を本当に実感することはできません。しかし祈りの生活によって聖霊と結び付き、イエスとつながり、父なる神と生きるようになるならば、どんなにその御国がすばらしいものであるか、本当にわかるようになるのです。私たちの心に、御国が来ますように。そうすれば、私たちは変えられますから。家に、職場に学校に、御国が来ますように。そうすれば、すべてが変えられますから。
Pastor Takeshi
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