使い捨ての時代
- AICF Japan
- 2023年10月1日
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昔に比べると、今は品質の良い製品が安く買えるようになりました。百円ショップは定着し、たいていの物がそこで手に入ります。電化製品をはじめ色々な物が、量販店で安く買えます。昔なら十年程使い続けられた物が、今は毎年改良された新型が登場し、数年単位で新しく買い替える人も少なくありません。車、パソコン、携帯電話と、数年で“古い機種”になってしまいます。
物を大切に使わない“使い捨て”の感覚は、便利で快適な世の中の象徴になっています。しかしそのような安易な便利さが、私たちの住む世界の環境破壊に直結し、また人々の心から忍耐や寛容さを奪い去る人間破壊にもつながっています。気がつけば、“スマート”(利口)な携帯機器によって、人が支配されコントロールされる世の中になって来ています。
そんな中で、私たちは部品のように学校や会社の組織の中に組み込まれ、その組織が機能するために自分の役割を果たすよう教育され、訓練されるのです。その求められる役割が果たせなくなると、部品のように取り換えられ、使い捨て部品のようにされて行くのです。物を大切にしない便利な物の使い捨てに慣れ親しんだ私たちは、それを自然なことのように受け入れ、病気や高齢、障がいによって、世の中で“生産的”でない人を、隔離して、直る見込みがなければ、合理的に処分して行くのです。
人は、物ではありません。人間が作る製品は、生きる物にはなりません。しかし神は、私たちを物としてではなく、生きた者として創造されました。また、決して使い捨てにはしません。むしろ、捨てられた者、失われた者を見つけ出し、助け出し、回復して下さるお方です。
私たちは、世の組織の一員のように生きることはできますが、世の組織の物ではありません。イエスは人のようになって下さいましたが、人ではなく神の御子なのです。私たちは神の国の者です。世には在っても、世の物ではありません。神は、決して私たちを使い捨てることはありません。私たちを用いる中で、私たちを回復し、環境を回復し、御国を完成して下さるのです。
Pastor Takeshi
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